2014年6月20日金曜日

第19回日本西アジア考古学会大会における発表

 2014年6月14日(土)15日(日)に鎌倉女子大学大船キャンパスにおいて、日本西アジア考古学会第19回総会・大会が行われ、本調査団員の堀岡晴美が「MAR.TU/amurruによるディルムンへの進出」との題目で発表いたしました。
 発表概要は以下の通りです。

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発表の様子(写真提供:日本西アジア考古学会)
 メソポタミア~ディルムン間交易について、メソポタミアから出土したウル第3王朝期(前2111~2003年)シュメール語文献史料を用いて考察した。
行政経済文書ではディルムンはMAR.TUと結びつく特徴が見られる。中でもディルムンからやってきたMAR.TUと呪術師を饗応するヒツジなどの支出記録(前2044年頃)は、MAR.TUがディルムンに居住した証拠となる。
また、ユーフラテス河中流域の半農半牧畜民であったMAR.TU(マルトゥ/アムル/アモリ人)の集団がペルシャ湾岸縁の小都市キシグ(Kisig, Tell al-Lahm)に住み着き、有力者ナプラーヌム(MAR.TU)がこの地で繁栄した事実については、交易船が係留する港町でディルムン交易に参入した結果と思われる。
こういった文書の数年前すなわち前2050年頃、バハレーン島では壁に囲まれた都市国家が誕生し湾岸交易中継を独占するようになる。以前はアラビア半島東側沿岸とバハレーン島を指していたディルムンの名称もバハレーン島のみを示すようになった。
ナプラーヌム言及文書のほとんどが出土したプズリシュ・ダガンに家畜集積・再分配センターが設置された時期、MAR.TUがキシグだけでなくディルムンにも居住した証となる文書の時期、バハレーン島における都市国家出現時期、これらは前2055年から15年 の間の出来事で、すべてが連動して起こったと推測される。

(文責:堀岡晴美)

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日本西アジア考古学会第19回総会・大会のプログラムは以下のリンクよりご参照ください。
http://jswaa.org/jswaa/19program.pdf

今後も、学会や各発表会を通じて、バハレーンの考古学に関する情報を発表していきます。 (R.H)

2014年6月16日月曜日

第1回日本バハレーン考古学調査団打ち合わせ

2014年6月13日(金)に第1回日本バハレーン考古学調査団打ち合わせが東京文化財研究所にて行われました。調査団員のうち計6名が集まり、顔合わせの他、以下の点に関して打ち合わせを行いました。


・挨拶
・団員紹介
・背景説明
・調査の目的と概要
・ワディー・アッ=サイル遺跡の概要
・今後の計画

国内基盤が着々と整いつつあり、今後の活動が楽しみです。 (R.H)